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2013年12月 4日 (水)

戦前の航空灯台跡を求めて 2 大黒山山頂に今も眠る高森航空灯台遺構

P1000693

山頂に残る戦前の民間航空用高森航空灯台遺構

(手前から頂点d、頂点b、三角点)

柴田昭彦さんの「戦前の航空灯台」によれば、岩国市周東町の大黒山に民間の夜間定期航空用の航空灯台「高森灯台」が建設されていたとのことである。

 大黒山山頂にも岩国山と同様、コンクリ基礎が存在する。しかし、このコンクリ基礎については、いろいろな山行ガイドブックでは、「旧軍の監視所の跡と言われるか定かではない」、「監視台か」とやや疑問を呈するものから断定するものまで程度の差はあれ、旧軍の監視所と記述しており、ネット上ではこれらから引用したと思われる記述があふれ、なかには海軍の監視所跡と断定しているものがある。伝え聞くところによるとこれらの情報源は地元の伝承らしい。
 しかしながら、地元の伝承には注意が必要である。同時代情報なのか、後世に推定された説なのか確認する必要があるが、地元の地方史資料には一切記述がない。
周防大島町の嘉納山特設見張所がアジア歴史資料センターの資料や「国有財産引継関係書類」等には特設見張り所と記載されているのに、地元の伝承では陸軍の高射砲台と誤って伝えられた例がある。上記の資料には大黒山に見張所があったという記述はない。

また、いくつかの特設見張所を見た経験では、いずれもすぐ近くにトイレ等の生活遺構が存在し、モルタル煉瓦片が散乱しているが、大黒山にはそのようなものを見た記憶がなく、監視所説には疑問を持っていたが、過去の山行では遺構への関心はなく、詳しく調査したわけでもなく、前回の山行からかなり時が経ったので調査山行することとし、山行前に、文献調査を行い、次のことが判明した。

(1)航空局、日本航空輸送株式会社により現地踏査され選定された灯台の設置位置は以下のとおりである。
    灯台名  高森
     場所   山口県玖珂郡高森町

           E 一三二度二分二一秒

           N 三四度四分九秒

     標高(m) 三三九

     日本航空協会編『日本航空史 昭和前期編』P563表5「航空灯台設置位置一覧表」


     なお、経緯度は日本測地系であること、標高は灯台の灯器の標高で鉄塔の高さ15mほど高くなっていることに注意が必要である。

(2) 「航空燈臺一覧表」(昭和14年5月15日調)(燈臺局編纂『日本燈臺表』所収)には、記載がない。未点灯のためと思われる。

(3) 旧版地図を可能な限り閲覧したが、大黒山周辺を通過する高圧電線網はなかった。

以上の調査結果を踏まえ、2013年11月22日、29日の両日、調査山行を行った。

 

山頂までにレンガ片やトイレ等の戦時遺構は一切なかった。

山頂には、各辺400cm、幅60cmの正方形ボックス型の基礎があり、頂点abdにはには径24㎜、残存高115~120㎜のボルト2本が曲げられて残存している。頂点cは籔のためボルトは未確認。コンクリには多くの丸い石を含んでいる。

南側の辺bcが崖になっており、36cm露出している。

山頂鉄塔基礎の配置状況図

Daikoku_2

なお、これらの数値はスケール、巻き尺によるもので精度 はなく、また、三角点との方位は未計測で、図では方位を再現していない。

鉄塔中心点(推定)のGPS座標はN34°04′20.9″、E132°02′13.0

柴田昭彦さんの推定位置にほぼ一致する。

『日本航空史 昭和前期編』の灯台配置図の座標を国土地理院の測地系変換ページWeb版 TKY2JGD」で世界測地系に変換した結果はN34°04′20.78E132°02′12.09でほぼ一致する。

P1000692

左から 頂点d、頂点b 正方形の基礎の中は土のため草が生えている。

P1000684

巻き尺で囲んだ範囲が外側の正方形

基礎はボルト周囲以外が 平滑なのに対し、ボルト周囲をよく観察すると、真ん中がやや凹状にくぼんでいるのに対し、周囲にわずかに凸状の痕跡がみられ、40~45cmの4角柱状に 突起部分があったものを削平したものと考えられる。特に頂点bでは明瞭なコンクリの突起が地表面に残存している。したがって、この基礎は元々、4つの頂点に4角柱の突起があったもので、鉄塔の基礎ではないかと考えた。

P1000687

頂点d 。ボルト周辺は削られ、かすかに一辺45cmの多角柱(台)の縁らしき痕跡がある。

P1000688

頂点b。地表に石が出ていてつまづきかけたので、少し土を払ったら、丸石をふくむコンクリの突起だった。多角柱(台)の縁が明瞭に残ったものと考えられる。なお、この下から折り曲げられたボルト2本及び周囲の土から錆びた鉄の剥片が出土したが、安全のため土をかぶせ現状復旧した。

 

P1000695

頂点a。ボルト2本。幅60cmの基礎の内側に土の正方形領域がある。

P1011313_2

南側は急崖のため、基礎の縁が36cm露出している。

P1011315_2

頂点c。上側と右側に段差があるのでここが頂点であるが、籔のため、基礎上面及びボルトは確認できない。

これらの遺構を考えるに、通常の見張所等の建物であれば周囲に上部構造のモルタル煉瓦片が散乱しているはずだが、一切なく、周辺にトイレ、水槽の生活遺構もないことから見張所(監視所)ではないと考えた。

筆者は専門家ではないので、遺構の画像を有識者に送付し、照会した。

戦時遺構の有識者Fさんからは、引渡目録に該当の見張所、航空灯がないこと、このように4隅だけにボルトがある基礎は通常の建物ではなく、鉄塔の基礎と推測されるが、4隅以外にもコンクリが打設してあることが通常の鉄塔と異なり不思議である旨回答をいただきました。

柴田昭彦さんからは

 「上野航空灯台の規格と近似していますね。上野は外正方形が393cm、基礎は一辺45cm
 であり、ボルトも斜めに2本であり、しかも、山頂なので、経緯度も一致します。(中略)私の
 直感では、大黒山の山頂の遺構は、航空灯台跡の可能性が高いと思います。正方形の4mの各辺
 部分にもコンクリートがあるのならば、建物の基礎部分とも言えますが、頂点の4カ所のみの基
 礎ならば航空灯台跡でしょう。作図を見る限り、航空灯台跡と思います。」

という回答をいただきました。お二人ともありがとうございました。これで戦時遺構の見張所ではなく、灯台鉄塔の可能性がでてきたが、類例の鉄塔ではこのように各辺もコンクリを打設したボックス型の基礎がないことだけが気になったが、これについては下記の結論に達した。

大黒山に、
4隅のボルト部分に柱状突起を持つボックス型の基礎が採用された理由は、山頂は非常に狭いやせ尾根で、西方向には巨岩があり、スペースがほとんどないこと、南北方向は狭く急崖で南側の急崖上に基礎を拡張せざるを得ないが風化しやすいマサ土で、4本の独立した基礎では安定性、強度を確保できないためと考えられる。

一応の結論は出たものの、あるいは現代の反射板等の基礎の可能性も完全には除去できないとすっきりしなかったが、「点の記」を閲覧してすべての疑問は氷解した。

「点の記」によると昭和8年に三角点を5m西方に移しているがその理由として日本航空輸送株式会社からの依頼があったことが記述されている。

これは①民間航空灯台は昭和8年11月までに日本航空輸送株式会社により建設されたこと(日本航空協会編『日本航空史 昭和前期編』)②基礎の中心点と三角点間の距離、方位は計測していないが、基礎配置図の頂点bと三角点の距離2.3m+(基礎1辺の長さ÷2=2m)×√2で概算すれば三角点は基礎の中心点から概ね西方向約5.1mの位置にあると推定されることと符合する。

以上により、大黒山山頂のコンクリ遺構は通説の旧軍監視所跡ではなく、戦前の民間航空灯台の遺構であることが明らかになった。


 

P1000704

遠く尖峰の山が見えた(13.11.22)




 


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