尻高山・高壺山・砲台山総合概念図

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    尻高山・高壺山・砲台山総合概念図

笠戸島スカイハイキングコース地図(「地理院地図」版)

十種ヶ峰

  • 福谷池から見る十種ヶ峰
    十種ヶ峰福谷池コース

鷹の止まり山

  • 5 山道
    鷹の止まり山(04.04.17)

山上山

  • 11
    山上山

廿木山

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    廿木山

枡形山

  • 05 山道が続く
    枡形山

四熊ヶ岳庄原コース

  • 17 日本の正しい秋
    四熊ヶ岳庄原コース

太華山大楠ルート

  • 02大楠バス停付近からめざす鞍部を遠望する
    大楠から牧ヶ岳南の鞍部に出て、北進すれば牧ヶ岳、太華山へ、南進すれば水谷山を経て本浦に出ます。太華山のバリエーションルートの一つですが、南進して水谷山方面へ進むと森の中のパノラマ展望ルートになります。大楠から鞍部までの画像を掲載しています

太華山縦走

  • 06 大島山の分岐に建つ石柱
    太華山縦走

千坊山西の庄ルート

  • 27
    千坊山西の庄ルート

小島山

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    小島山

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2015年6月

2015年6月28日 (日)

虎ヶ岳・烏帽子岳・茶臼山完全縦走・外伝(3)(続)葉山・山名考

前回の記事において、現在、葉山と呼称されているピーク(4等三角点「大崩」)が、江戸期には葉山と呼ばれる山域に属していなかった可能性が大きいことを指摘した。葉山は三井村境の山であり、むしろもう一つの御立山である深山の可能性がある旨指摘した。

今回、「三井村清図」、「浅江村清図」と現代の地形図を比較参照してみた。
 まず、葉山について調べると、新山の祇園寺後方の山は、後に境界が変更になるためか、両図ともに描かれているが、「三井村清図」には、「葉山」と山名が記されており、三井村から浅江村に変更になったと御立山であるという境目書の記述に一致する。葉山は、前回引用した史料からも、浅江村、三井村境の山域であることが確定した。
 一方、深山は、「浅江村清図」の隣村境界の記述が河内村から豊井村に変わる地点の山域に「深山」という山名が記され、これはほぼ現在の茶臼山に同定できる。したがって、「深山」でもない。
 次に、現在の下松・光市境界線の形状は江戸期とほとんど変わりがないので、地形図と「浅江村清図」を比較参照し、現在、「葉山」とされている山域を調べると、「大崩山」という山名が見える。この山は、明治期に林野下戻された入会山の「大崩山」と同一とおもわれる。一般的に、「浅江村清図」では、「河内村地下図」とは異なり、山名表記の位置が、稜線上のピークではなく、稜線やや下方の尾根付近を指しているようにもみえるが、山域としてみれば、間違いなく「大崩山」である。
 したがって、現在、葉山とされている4等三角点「大崩」付近は、江戸期にも大崩山と呼ばれていたと考えられる。

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2015年6月20日 (土)

旧・武居酒場の石垣

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一見、小さな城を思わせるようなこの石垣。昭和30年代、この前を通って登校する小学生たちが、遠くから勢いをつけて駆け上がりどこまで達することができるかを競い合い、学校から危ないからと注意がでた。

Img_1937_2そんな昔から50年。当時を知る人ももうあまりいなくなっただろうか。

これは旧・武居酒場の石垣である。

最近、別のF酒場として紹介されているブログがあるため、正しい情報を記しておく。

2015年6月19日 (金)

『ビルボード年間チャート60年の記録』 佐藤直人

70年代、海外のポピュラー音楽が好きだった。最新のヒット曲を知りたくて、ラジオ局のビルボード、キャッシュ・ボックスのチャートを広告の裏に鉛筆書きで記録していた。

この年間シングル100では、暦年ベースのため、年をまたがった曲の順位が下がりがちという特性はあるものの、曲名を見るたびにメロディが浮かんでくる。

意外だったのは、筆者の好きなグループで日本では米国ほどヒットに恵まれなかったグループの曲が4曲も年間シングル100に入っていたことだ。67年の70位、68年の19位、69年の48位、71年の29位だ。

実際に、ポピュラー音楽を聞いていたのは70年代だが、好きな曲は65年~72年頃までの曲が多かったようだ。

2015年6月17日 (水)

さよならは悲しい言葉

長年親しんだこの場所とも今日でお別れだ。

初めて、この場所を訪れたのはもう15年前だ。表面採集した土器片を持って行って先生にみてもらった。ほとんど、石だった。何回も訪れ、2箇所は散布地に認定された。

その先生も今は亡く、教えを乞うた先輩も病気で引退された。この4年間はわからないまま自力で実測図を書いてみたり、報告書を参照して,土器の同定を試みたりした。

広い書斎のようなこの場所とも今日でおわかれだ。さて、いつまでこの勉強を続けることができるだろうか?

人生とは時という巨大な押し棒に絶えずおしつづけられるトコロテンのようなものである。

     2015.6.17

2015年6月15日 (月)

山口県埋蔵文化財センター平成27年度巡回展「発掘された山口2013」 inくだまつ

「ほしらんどくだまつ」の歴史民俗資料展示コーナーで山口県埋蔵文化財センター平成27年度巡回展「発掘された山口2013」が開催されている。

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机の中央には愛嬌のある「ほっちょるん」のスタンプがある。

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「ほっちょるん」が、瓦質土器の足鍋をわかりやすく解説している。本当に愛嬌のある奴だ。「ち○○る」や「○んちゃん」より愛らしいやつだ。できれば、ゆるキャラグランプリに登場して欲しい。

Img_1712閑話休題。小生がもっとも興味を持ったのが、中央の田布施町平井遺跡出土の筒型器台、県内唯一の出土例である。おそらく、古墳由来の物と思われる。以前、小生が、平井遺跡のすぐ上方の木地遺跡の発掘ボランティアとして参加した時、弥生土器に混じって、少量ながら谷筋に須恵器片が出土し、上方尾根に古墳が存在する可能性が指摘された。この器台も、さらに上方の尾根から流入してきたのではないだろうか。木地山のアンテナ建設作業道開設時に、大量の土器が出土したという地元の話を聞いたこともあり、木地山周辺には重大な遺跡が存在しているのだろう。

7月30日まで開催中。

巡回展とは関係ないが、「ほしらんど」のロビー中に食堂のにおいが充満しているのは、この時期には、何とかして欲しい気がするのは小生だけだろうか。

2015年6月 9日 (火)

虎ヶ岳・烏帽子岳・茶臼山完全縦走・外伝(2)葉山・山名考

4等三角点「大崩」のピークは、現在は「葉山」と呼ばれている。付近の尾根山を広く葉山と呼ぶので、仮称として名付けられたが、現在、この山名は定着している。
 定着している山名にいまさら異論を挟むつもりはなく、今回、ここで考察したいのは、はたして、江戸期にこの付近は「葉山」とよばれる山域だったのだろうかということである。

付近の尾根山を広く葉山と呼ぶ論拠として考えられるのが、「浅江村地理志」の大山の項である。
 「一 大山
    葉山
    深山
     但當村にて之大山ニ御座候、高サ十八丁位ヨリ十五丁位有之、葉山ヨリ西ハ魚縁岡懸と申所引續キ後ロハ徳山御領ニテ周廻り難相知候事」

魚縁岡崖は現在の崖山西側、下松市、光市の境界付近で、一見、魚縁岡懸より東側がすべて葉山と呼ばれているようにも解せるが、深山との相対位置に注目する必要がある。

同書の中村竪横の項に
  「(中略)村中周廻境之儀は艮(北東)ヘ當たり葉山と申御立山也、東ハ三井村足谷山、北は徳山御領来巻村之山野、此所三ヶ村之の境にして(中略)」
  とあり、葉山は三井村境にある。

さらに、中村竪横の項は大川(島田川)を下り浜辺を伝い魚ヶ縁に出て、豊井村との間に複雑に入会権が混じった山域を述べたあと、
「右場所ヨリ特牛ヶ迫之中尾筋を上り山野峯尾切御立山深山北之隅迄廿六丁(中略)峯尾境葉山詰三井村境迄三拾丁、一村周廻り都合五拾七丁程也」とある。
すなわち、位置関係は、魚縁岡→深山→葉山→三井村境となる。

同書の山川之形勢の項に
「川口ハ平坦之地故田地勝ニテ人家茂多有之、御立山深山ハ乾(北西)ヘ當り葉山ハ北へ當り、其餘ハ山野境内山合壁入交ニ之有り、魚ヶ縁ハ海辺に高山峨々として磯伝ひ之通路仕候事」とあり
位置関係は、魚ヶ縁→深山→葉山となる。


「三井村境目書」(元文三年)の隣村境目書に
「(中略)水越峠と申伝候、夫ヨリ足谷山・葉山と申御立山弐ヶ所有、間之尾迄ハ右尾続峰尾切、此間之尾ヨリ南ハ浅江村分之御立山なり、先年ハ当村分ニテ御座候故如此ニ御座候(中略)尤浅江村よりハ三井村之内、南ハ美野越垰と云所より北西之間ハ足谷・葉山と云御立山弐ヶ所有之、尾切村境と申候得共、先年三井村ニテ御座候、其以後弐百八拾石余浅江村添石ニ相成候得共、村境之引分ケ無御座候故、先年之村境之通り如此御座候事」
とある。

「浅江村境目書」(元文三年)の隣村境目書に
「(中略)夫より大垰頭迄尾続尾切也、此所東は熊毛郡三井村、北ハ都濃郡徳山御領来巻村、南ハ当村三ヶ村之境也、当村之分葉山と申御立山也夫より佐屋か垰迄尾続峰尾切、此所北ハ都濃郡徳山御領来巻村、西ハ同御領河内村、南ハ当村三ヶ村之境也、此所之後徳山御領松尾山と申す御立山有之、夫より西へ当リ深山と申御立山頭迄尾続峰尾切、此所北は徳山御領河内村、西ハ同御領豊井村、南東ハ当村三ヶ村之境ナリ(以下略)」とある。

以上を勘案すると、葉山は三井村境の山で、中宮別れが2つの大山を分ける鞍部とすると、むしろ、手前の深山の山域と考える方が妥当のように思われる。

なお、「浅江村地理志」の山野(入会山)に大崩山の山名が見え、明治期に林野下戻されている。よくある山名なので同一の山とは確証できないが念のため記しておく。

おって、「河内村地下図」と地形図を参照すると「あやが谷山」か「こぐら山」に該当するに思われる。

その後の調査結果による結論はこちらです。

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