尻高山・高壺山・砲台山総合概念図

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    尻高山・高壺山・砲台山総合概念図

笠戸島スカイハイキングコース地図(「地理院地図」版)

十種ヶ峰

  • 福谷池から見る十種ヶ峰
    十種ヶ峰福谷池コース

鷹の止まり山

  • 5 山道
    鷹の止まり山(04.04.17)

山上山

  • 11
    山上山

廿木山

  • 32 270ピークに戻る
    廿木山

枡形山

  • 05 山道が続く
    枡形山

四熊ヶ岳庄原コース

  • 17 日本の正しい秋
    四熊ヶ岳庄原コース

太華山大楠ルート

  • 02大楠バス停付近からめざす鞍部を遠望する
    大楠から牧ヶ岳南の鞍部に出て、北進すれば牧ヶ岳、太華山へ、南進すれば水谷山を経て本浦に出ます。太華山のバリエーションルートの一つですが、南進して水谷山方面へ進むと森の中のパノラマ展望ルートになります。大楠から鞍部までの画像を掲載しています

太華山縦走

  • 06 大島山の分岐に建つ石柱
    太華山縦走

千坊山西の庄ルート

  • 27
    千坊山西の庄ルート

小島山

  • P1010001
    小島山

プロレス Feed

2014年7月10日 (木)

『日本プロレス全史 1854年~2013年の闘いの記録』

ペリーの黒船来航から現在までの日本プロレス界の歴史書

プロレスに興味が無くなったのはもう数年前だろうか。思い起こせば、小学生の頃、金曜8時は小学校から見て良い番組とされた「ディズニーアワー」と見て悪い番組とされた「プロレス」が隔週で放映されていた。マットの上は「風神」で掃除されていた。

猪木が日本プロレスを追放になったニュースは修学旅行先のスポーツ新聞で見たような記憶がある。

金曜8時の新日本ワールドプロレスリングは、当時、テレ朝系のTVがなかったので、KBCがかつがつ映る盆地奥の某所にマニアが集まり見たものだ。

猪木・バックランド戦の結果を知りたくて九州スポーツを買い求めた日々。

そして、最新のNWA情報を求めて毎週、週刊ファイトをキヨスクで買い求め、車中で読みふけった日々。もう、昔の話だ。

しかしとにかく重い。重量3kg。百科事典1巻分の重さがある。いつも読書は仰向けに寝転がってしているのだが、あまりの重さに腕でささえることができないので不可能。うつぶせは首と腰に悪いのでこれも無理。それで清く正しく机の前に座って読むか、若しくは横向きに寝て、本を壁に立てかけて読むしかない。

おかげで腰痛と股関節通である。

そういえば貴重な『週刊ファイト縮刷版』がどこかにあったはずだ。いつか、某氏の所に持参しよう。(○○がいないときに)

2006年10月 8日 (日)

タブロイド紙だけが知っていた

「週刊ファイト」を初めて見かけたのは、当時の職場があった街の駅のホームのキヨスクであった。その頃、僕は仕事になじめず、失意の時代を送り、毎週のように帰省していた。以前から、プロレスファンだったが、さすがに「週刊ファイト」の表紙はどぎつく、手にとるのがはばかれた。その後、車内で読まれているのを見かけ、買ってみると、I編集長のコラムはするめのように読めば読むほど滋味深く、次期NWA王者は誰かという海外マット情報も多く、愛読紙となった。

 職場を代わり、列車に乗ることも少なくなったが、駅のキヨスクまで自転車をこぎ、買いにいった。約10年後、再び、失意の時代を迎え、毎日の通勤列車は思い悩む時間だった。しかし、水曜になれば明日は週刊ファイトが発売と思い、気をとりなおし、木曜夕方の列車はお菓子をつまみに「週刊ファイト」を熟読した。至福の時間だった。その後、職場を代わっても、通勤電車の中の「週刊ファイト」は、僕の生活のアクセントだった。

ファイト休刊により、僕はこれからファイトのない人生を送らなければいけない。 

  さらば週刊ファイト 愛しき友よ

過去ログより
あのレスラーは今も元気か

2006年2月 9日 (木)

里山プロレス

 小生が高校生の頃、プロレスを見るだけではあきたらないというプロレス者がいた。彼らは、放課後、先生の目を盗み、体育館にマットを敷き、スパーリングや、バックドロップの練習をしているらしかった。

 その彼らが、家の近くの某山で試合をするという噂を聞き、プロレス・ファンの小生は駆けつけた。公園化されたとはいえ、程良いクッションのある草地が会場だった。マスカラス風のフライング・クロス・チョップやバックドロップの攻防はそれなりにおもしろかった。もちろん、観客は小生1人だけだったが(笑い)

 そこに通りかかったおばちゃんが「あなたたち、どこの学校」と非難するように尋ねたので、しっかりと隣の高校の名前を言いました。(笑い)

 そのプロレス者達は、大学卒業後、有名商社員、医者になった。
今も、その近くを通る度、あの頃を思い出す。

2004年10月15日 (金)

新日本プロレスに明日はあるか?

長州力復帰、上井取締役辞任

いよいよ、新日本プロレスがその歴史にピリオドをうつ時期が近づいてきたようだ。

20年前、金曜8時の「ワールドプロレスリング」猪木対B・バックランド、S・ハンセン、B・ループ、藤波対S・カーン、P・ロバーツの名勝負に夢中になった。

はじめて、生で見たのは大谷晋二郎のデビュー戦のあった日だった。だが、生での印象はTVでの印象とは随分違い、選手がほえてばかりいた。レスリングができたのは留学生のワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)だけだった。

2回目に見たのは、NWO華やかりし頃だった。またまた、選手はほえてばかりいた。レスリングで目立ったのは佐々木と永田だけだった。

永田について、プロレス世論は厳しいが、猪木。藤波のストロングスタイル、テクニックを受け継ぐのは永田しかいない。

新日本プロレスが日本人の軍団抗争をやるときはおもしろくない。維新軍団、国際軍団、魔神軍団いずれもそうだった

新日本プロレスの真骨頂はシングル、しかも外国人強豪との試合だ。J・バーネットをなぜ使わない。
わけのわからない軍団抗争ばかりやっているようでは明日はない。

2004年9月24日 (金)

山口県出身の有名人といえば

プロレスラーである。間違いない

長州力(元WJ)
佐山サトル(初代タイガーマスク)
大谷晋二郎(ゼロワン)
山本宣久(元リングス)

ついでに、元週刊プロレス編集長ターザン山本氏も山口県(岩国)出身である。

2004年4月19日 (月)

あのレスラーは今も元気か?

 それは、もう10年以上前のある日のことだった。本屋で立ち読みしている小生の耳に「Weekly Fight Weekly Fight」という外国人の声が聞こえてきた。振り向くと大男の外国人が店員に「『週刊ファイト』はないか」と聞いているようだ。どうやら、当日の新日本プロレスの興行に参加したレスラーで、「週刊ファイト」の取材をうけその記事を探していたようだ。店員はカラー写真の「週刊プロレス」を紹介していたが、「週刊ファイト」は知らないようだ。「週刊ファイト」はI編集長の文学的プロレス論が好評の通好みのプロレス専門誌で、当時はキヨスクでしか売っていなかったのだ。それをきいた小生、何を思ったのか、きっと、それが愛読する「週刊ファイト」だったことが大きな要因だったのであろう「駅で買ってくるので、少し待ってほしい」と英単語で会話し、雨の中、駅に走り出した。駅で自分のとあわせ2部買い、服の下にいれて濡れないようにして本屋に帰り着き、彼に渡した。「お金はいらない」というのに「いや、こんな雨の中、買ってくれたのにそうはいかない」と代金をくれた。彼の記事はとても小さく、写真も小さかったが、彼は熱心に見ていた。「ルー・テーズの弟子」という記述を小生が読むと、「あなたは今、ルー・テーズといったのか」という言葉が返る。興行時間が迫り、本屋を後にする彼に「Good Fight」と声をかけ別れた。


(本稿は小生が某誌に投稿し掲載されたエピソードを当時を思い出しながら再度、執筆したものである)